ゲイの金融コンサルタントのぶっちゃけ日記

LGBTの社会保障。あまり語られてこなかった分野を、日本TOPレベルの金融コンサルタント&カウンセラーとして紹介します。 と言っても、好き勝手な人生を歩む中年オヤジなので、ゆる~く・のんびり・正直に書きます。

4.2.3 在ペルー日本大使館人質事件

1997年4月23日。
ペルー日本大使館人質事件が解決した日。
この事件の報道、マスメディアがひどかった。



■概略

ご存じない方のために。

ペルーにある日本大使館にテロリストが侵入、4ヶ月間占拠。
日本のマスメディアは毎日毎日、その状況を伝えた。
4/23(現地は4/22)にペルー軍隊がテロを制圧、
テロは全員死亡、ペルー軍2名死亡、日本人は全員無事。

 


■この時の報道

テロリストと軍隊の戦闘が、カメラの至近距離で行われた。
バズーカー、戦車、手榴弾がで火を噴く。


テロリストは日本人を守るため、高層階に避難させたそうだ。
その結果、地上では炎と土煙の緊張した映像。
安全な高層階の窓際で、日本人同士が談笑する緊張感のない映像。
マスコミ各社は、一斉に日本人無事を報じた。


そんな中、映像の片隅で、土煙から担架が飛び出した。
黒い肉の塊。曲がるはずがない方向にブラブラと揺れる腕が垂れる。
担架を担いできた兵士は立ちすくみ、走りだす救急車を見送る。
すぐにきびすを返して、土煙に向かって突進した。


しかし日本人レポーターは、日本人の無事だけを絶叫し続ける。
2つ目の担架が救急車に運ばれる映像に至っては、映さないTV局さえあった。



私は理解できなかった。
NHK、日テレ、TBS、フジ、テレ朝、テレ東、、、
すべての局が特番を組んでいたが、
すべての局がこんな報道だった。



 

中島みゆき

翌1998年3月、中島みゆきがこの時の状況、
マスメディアを痛烈に批判する歌を出した。
それが「4.2.3」という歌。
彼女の時事ネタ、しかも批判ソングは極めて珍しい。


この歌が発表された翌日から、マスコミは変わった。

 


 

■1年目:1998年4/23

事件からちょうど1年。
各TV局は終日、特番だらけ。
1年後の人質たち、崩壊した大使館跡、ペルーの街並み・・・


その時の各局のアナウンサーの言葉。
「あの日、日本人の無事だけを報道し、現地の尊い犠牲を
報じない局もありました。報道の責任が問われます」
すべての局が、まるで免罪符のように、その呪文を唱えた。
それはまるで
「酷い報道もあったけど、私達だけはマトモだった」
と、私には聞こえた。

 

■いま

今や、テロリストが当たり前の社会となっちゃいました。

みなさんは、理解できますか?


4ヶ月間、テロリストと人質は毎日トランプ、サッカー、語学の教え合い。
テロリストが人質を安全な場所に移動させて、自分は戦闘。
テロリストって極悪なんじゃないの?

地球の裏側、聞いたこともないような国のために、私は死ねません。
救急車を呆然と見送った兵士の後ろ姿、目に焼き付いてます。
「軍人だから当然」と言う理屈、自分の命をかけて遵守できるだろうか?


宗教、大国、代理戦争、貧困、、、そんな大きな単語はこの際無視して。

「人を傷つけちゃいけない」
世界中の親が教えるのに、テロリストは今日も生まれる。
何が起きてるのか、全く理解できません。

 

私には「ワカラナイ」ことが多い。
この事件で気付きました。
できる限り自分の目で見に行って、自分で判断しよう。
…毎年この日は、そんな自分の原点を思い出します。